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さつまいもを日本に広めた男!

野渕 慎也

こんにちは!
最近ブルーライトメガネを付けるようになった野渕です!

いきなりですが、みなさんサツマイモを日本に広めた人物をご存知ですか😊?
一度は聞いたことのある名前かと思いますが、『青木昆陽』という人物です👱‍♂️
今回はサツマイモが広まったきっかけを作った『青木昆陽』という人物について少し紹介したいと思います👍

青木昆陽

1698年に魚屋の息子として生まれます。
家業の魚屋を継がずに京都へ勉強に出ることになります。(当時の京都は学問に特化していたから)
学業に励んだ後に、江戸に戻り勉強した医学などを踏まえ、父親と母親の看病をするも、父も母も亡くなってしまいます。

その後、日本は享保の大飢饉により米の生産が追いつかず米価が上がり、約1万人が飢えで亡くなるという深刻な状況に陥ります。
そこで昆陽は中国『農政全書』に出会います。
中国ではサツマイモが、飢饉の時の非常食として栽培されていました。
これを読んだ昆陽は『蕃藷考』というものを書き上げます。(13の項目でサツマイモについて記されていた)
その『蕃藷考』が幕府の目に止まり、昆陽はサツマイモ栽培を任命されます。
徳川吉宗の命で1500個のサツマイモの種芋が九州から届けられました。
(昔はサツマイモには人体に毒があると信じられていた)

しかし!冬の寒さで種芋がほとんど腐ってしまい1500個→500個に減ってしまいます。
窮地に追い込まれた昆陽でしたが、500個の種芋でなんとか栽培を成功させます。

無事栽培に成功した昆陽は、当時幕府でオランダ語を理解できる役人がいなかったため、
オランダ語の習得を任命されます。
その後、幕府の書物奉行を命じられ、日本で初めてオランダ語の読み書きができる学者となりました。

蕃藷考を書きあげてから30年後、集大成として蕃藷考補(蕃藷考では書ききれなかった内容)を記しています。
その5ヶ月後に一生を終えることとなります。

まとめ

いかがでしたか😊?
簡単な紹介にはなってしまいましたが、青木昆陽という人物が成し得たことの偉大さは計り知れませんよね🤔
今やサツマイモといえば、誰もが知っている食べ物ですが、青木昆陽の努力のおかげだと知るだけでも、少し見方が変わるかもしれません🙆‍♀️
歴史を知ることの意味を再認識できました!✨

日々新しい時代へと進化していきますが、受け継がれる歴史があるからこそ進化できるのではないかと痛感します🤝
自分自身に置き換えても、昨日よりも今日今日よりも明日と、過去を見つめ直しながら、日々進化成長できる人生にしていきたいです☺️

青木昆陽ありがとう🙏

野渕 慎也

営業マネージャー

1995年生まれ。京都府出身。 天理大学国際学部地域文化学科卒業。在学中に現CEOと出会う。学生時代は野球に勤しむ。(阪神大学野球連盟リーグ優勝。関西5リーグ選手権大会優勝。全日本大学野球選手権大会出場)卒業後、幼児教育事業の会社に入社。その後、外資系金融機関での勤務を経て、“多くの人を笑顔にしたい”という強い想いをもち、現在の会社に入社。

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